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手に取らない




商業施設ビルが沢山出来てる。


ナチュラル系というか暮らし系の店を一応は覗いたりして、置いてあるもの。特に器系はどうしても見てしまう。


なんで自分はこれを買わないのかなと考えてみた。




価格は安いし、丈夫。何枚もある皿はほぼ違わない表情。


どう考えても優等生だ。



僕が選ぶものは、不揃いだし、サイズは合わないし、次同じ釉薬かけて焼かれたものは違う色をしている。


欠けやすい。色も変わる。




でも、考えたらやはり素材から違うのだ。



量産型のうつわは素材も均一にミックスされている。


味っぽさを出した貫入も大きさが均一だ。



どれも生気がなく、ケミカルな印象を与えている。





拘ってる作家物というのは、自分で山に入って原土からとってくる。



臼みたいなのにゴリゴリして、細かくして、それから水簸をしてさらに滑らかな土に仕上げていく。


不純物が入っていて、データも正確ではない。


人の手で素材を作るので均一感もない。



ただ、それだからこそ、うつわにした時、厚さ数ミリの中に奥行きが生まれている。


貫入は小さなものと大きなものが混在している。


轆轤でひいた形は機械ではでないブレを生じさせる。




トン、とぐい呑を置いた時、なんかいいなあと響くのはやはりこういった手仕事のなせる技から、その気配が伝わってくるからだ。




特に、そのブレを生じさせながら、綺麗に作ろうとしてる作品は最高に気持ちがいい。





ナチュラルな、暮らし系の店で量産型の、古さを纏ったような器を見て、それは多分悪い事ではなく僕のほうがマイノリティなのだけれど、



唐津が地元ということがそうさせるのか、あるいは使命感的な気持ちで、どうしても手が出せない自分がいる。



うつわ業界なんてそんないうほど大きな市場ではないけれど、


このスタンスは今後も変えれないんだなあとそういうお店が増える度に感じている。